北から高速道路沿いに下ってくると町の手前で丘の先端に行き着き、左手に堂々とそびえ立つアラゴン城が出迎える。
南から続く数車線から上がり町に入ってくると、まっすぐな道が古城の正面へと導かれる。
海から到着する幸運に恵まれた者があれば、きっとアブルッツォでも1、2を争う美しさの遊歩道の上に立ち並ぶ家々に見とれ、丘の右端に鎮座する古要塞アラゴン城の独特な姿に心奪われるだろう。
オルトーナのまちの紋章の下にラテン語で"最古の都市"と書かれている。これを実感したいと思うなら、是非この建物の中を巡り、そして古城の石が各々に語る現在まで受け継がれてきた古き時代と時の変遷に耳を傾けてみて欲しい。石の物語、これこそ文明の最も具体的で検証可能な言語なのだから。
今日まで守られてきた建物は1452年アラゴン王アルフォンソによってノルマン城遺跡の上に築かれ、2000年代初頭の研究ではローマ時代の水槽に光が当てられ紀元前2000年に遡る集落で使われていた手製の陶器や金属が発見されている。
城の中に立つとまるで船の船首にいるかのような感覚に捉われる。前方から側面までアドリア海に囲まれて北はペスカーラの海岸から南はがルガーノ岬のあたりまで視界が広がっており、視界が良好な日はコネロ山の稜線やトレミティ諸島まで見渡せる。
この位置は歴史上の重要人物たちからも多くの注目を集めたが今ここで語る必要はあるまい。この独特な眺めを堪能し『ゲニウス・ロキ』(ローマ神話の地霊)の存在さえ感じている時に持ち出す話題としては無粋というものだ。
アンジェラ・ティベリオ (オルトーナ在住 イタリア語学科教師)
オルトーナの聖トマソ聖堂はイエス・キリストの12人の使徒のひとり聖トマソ・アポストロの遺骨が納められている教会として知られています。1258年9月6日オルトーナ生まれのガレー船船長レオーネ・アッチャイウオーリがギリシャのキオス島より持ち帰り、聖トマソ教会(旧名サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会)に納骨されました。
このため現在も世界中からキリスト教徒たちが訪れます。
毎年5月第一土・日曜日オルトーナで行われるFesta di San Tommaso Apostolo (聖トマソ祭)は聖人に捧げる祭りであると同時にFesta del Perdono (贖罪の儀式)です。
贖罪の儀式の始まりはサン・トマソの遺骨がオルトーナに届いた1258年に遡ります。この時教皇全免償が付与されましたがのちに1479年7月3日教皇シスト4世の大勅書により"心から懺悔と告解をし今後毎年5月第一日曜日に聖トマソ教会を訪れ信仰を深めること"と定められ、免償が5月第一日曜日に変更されました。
この時期に聖トマソの墓で祈るためにやってくる巡礼者たちは、免償が5月1日となった1479年から1949年までの間、教皇の文書の付与と免償の譲渡を続けて行えるようになったのです。
第二バチカン公会議後、免償の付与は教皇によって任ぜられた司教に託されたため、ランチャーノ=オルトーナ大司教は使徒の墓で祈り神の恵みを受けた信者たちに対し5月第1日曜日の前日に免償を付与します。
土曜日の夕方、行列を従えた女官から聖トマソ聖遺物箱上部の銀の鍵を渡された宗教当局は箱を開け免償を宣言します。
日曜日は地元で収穫される海や陸の産物が聖トマソに捧げられ、海の幸を捧げるとともに遺骨の上陸を祝うためボートも並びます。土・日とも銀の鍵と銀の聖人胸像を携えた女官たちや楽隊、騎手団、騎士らの華やかなパレード、花火を楽しむ人々で賑わいます。
トスティ会館はフランチェスコ・パオロ・トスティの生涯と作品、アブルッツォ出身のその他音楽家たち及び一般的な声楽室内楽や他分野の音楽文化を専門とする音楽教育機関で1983年市議会の決議により設立されました。
会館が設立したアブルッツォ音楽博物館はイタリアでも数少ないアブルッツォ唯一の現代音楽専門博物館で1994年4月の開館式はソプラノ歌手レナータ・テバルディにより執り行われました。
博物館はトスティにまつわる歴史資料が展示された部屋、楽器専用セクション、コンサート・セミナー用ホール、アブルッツォの著名音楽家たちを主に扱った二つの部屋で構成されています。
最初の展示室にはトスティのオルトーナ、ナポリ時代からローマでの生活など1870年にロンドンへ移るまでの資料や縁の品が陳列されています。
次の部屋はロンドン・モーティマー・ストリートにあるトスティの自宅音楽室を再現したものです。英国王立音楽院教授になるまで貴族達にレッスンを行っていたトスティは英国ロイヤルファミリーや皇帝ニコライ2世の妻アレッサンドラ、諸外国の未来の女王などに教え、ヴィクトリア女王の日記にはトスティのレッスンを受ける我が子達の様子が登場するといいます。この展示室には宮廷からの招待状、プログラム類、直筆原稿、家具・調度品、有名な画家たち(ミケッティ、サルトリオ、シャトラン、ストッポローニ)の絵画、プッチーニ、ヴェルディ、ディ・ジャコモ、リコルディ、ダヌンツィオ、ミケッティ、レオン・カヴァッロ、チレーア、マスカーニ、デ・レーヴァ、セラオ、ボイートによる直筆の献辞入り写真や資料が配され30年間の宮廷音楽生活で名声がピークに達した生活を垣間見ることができます。
別の部屋では伝説のバリトン歌手ジュゼッペ・デ・ルカ(ローマ1876年〜ニューヨーク1950年)専門にしつらえられ、50年間にわたって舞台に立った記録資料やステージ衣装などが展示されています。
楽器製作について展示した部屋もあり、見どころはたくさん。
さらに1996年創立アブルッツォ音楽図書館は15000点余りの音楽関係資料を所蔵しカタログはサイトよりアクセス可能です。
http://polouda.sebina.it/SebinaOpacChieti/Opac
Istituto Nazionale Tostiano
http://www.istitutonazionaletostiano.org/index.html
月〜金 09:30 - 12:30 / 火・木 15:00 - 18:00 入場無料
オーディオガイド(伊語・英語)あり/ 依頼に応じて館内ガイドあり
※変更の可能性がありますので事前にご確認ください。
tel. 085 9066310
info@istitutonazionaletostiano.org
http://www.istitutonazionaletostiano.org
アドリア海を見下ろす小さな劇場も地元出身音楽家フランチェスコ・パオロ・トスティの名で呼ばれています。
"海の劇場"はイタリアでも珍しく、オルトーナっ子たちの自慢の種。
トスティの曲を思い浮かべながらアドリア海を見渡してみてください。
近年では毎夏この劇場でアブルッツォ州内民俗音楽合唱団のコンクールも開催されています。トスティは民俗音楽の継承やフランカヴィッラで開催された初めての民俗音楽合唱団の屋外コンサートにも尽力したと言われています。
このコンクール以外にも劇場では様々な催しが企画されているのでオルトーナ観光の際はイベントをチェックしてみてはいかがでしょう。
Lido BarracudaやLido Riccioといった大きくて本格的な料理も楽しめるビーチハウスを始め、海岸にはずらりとビーチハウスが立ち並びます。
シャワーや更衣室の設備もありパラソルとデッキチェア、カウチが借りられます。
レストランも併設され、採れたてのシーフードをふんだんに使った本格的な料理も堪能できます。
ちなみにLido Barracudaは高級施設だけあって1日20€、一夏通しで400€とややお高めですが、7月前半や「半日だけ」等交渉次第で5€でお釣りがくる所も。
ビーチから旧市街までそれほど離れておらず夏は22時頃でも薄明かりがあるので1日でビーチと旧市街の散歩を両方楽しむこともできます。
オルトーナは20kmにわたり白い砂浜が続く青いアドリア海と、山に続く丘陵地、旧市街など見所たっぷり。アグリツリズモやサイクリングコースも整い(レンタサイクルも有り)数あるワイナリーの中にはレストランやB&Bを併設したものもあります。ワイナリーでは毎年5月最終日曜日にオープニングの試飲やガイド付きツアーが、11月には音楽イベントや試飲を楽しむことができます。
交通の便も比較的良く、高速道路や鉄道も走っていますが公共機関で市街に行くならバスが便利。州内あちこちの町からオルトーナ行きのバスが出ています。
半日でオルトナっ子Chiaraのお気に入りスポットを歩いてみましょう。
Castello Aragonese
海に面したアラゴン城がアルゴン王アルフォンソによって建設されたのは1452年頃、ヴェネツィア人によって古代港が破壊された後、古代要塞と側面の5つの塔の廃墟の上に建てられました。防御的構造の内部には階段が巡らされ眼下にはアドリア海が広がります。夜はライトアップされコンサートやパーティーに使われることも。
「ここは第二次大戦で深刻なダメージを受け、修復が始まったのは15年くらい前のこと。戦争の記録はComplesso Sant'AnnaにあるMUBA(オルトーナ戦の博物館)で見られるわ。オルトーナはかなりの激戦区だったの。それでもクリスマスの日は休戦して敵味方一緒に祝ったんですって。
ところでこの壁を覆っているのはケッパーなのよ、知ってた?」
アラゴン城から続くCorso Giacomo Matteottiを進むとすぐ左手にあるのがコルヴォ宮殿、この中にトスティ会館があります。そのまままっすぐ行けばサン・トマソ広場とサン・トマソ聖堂、ここでは毎年5月第一日曜日に聖トマソ祭を祝い、前日土曜日の午後から衣装をつけた華やかなパレードも見ることができます。
次にキアラが見せてくれるのは何の変哲もない、実は珍しい場所。
詩人ダヌンツィオの母上Luisa De Benedictisはオルトーナ生まれ、彼女にちなんで名付けられたVia Luisa D'Annunzioの壁には『偉大な女性生まれし場所』という内容のダヌンツィオの言葉が掲げられているのです。
海側に抜けるとCorso Giacomo Matteottiと並行して海沿いに続く遊歩道Passeggiata Orientaleに出ます。ファルネーゼ宮殿でBelvedere F.P. Tosti とGaribaldi通りに分かれ並行に続く通りをさらに進むと2本の通りの間にF.P.トスティ劇場が現れます。
隣の公園で海をモチーフにした噴水を見たら休憩です。
キアラの一押しはPorta CaldariにあるGelatiamoのジェラート!
https://www.facebook.com/Gelatiamo-337629636346520/
お店の名前はきっとGelato, ti amo (I love you, gelato!)と動詞の"〇〇しましょう" = ○○amo"をかけた言葉遊びでしょうか?
別れ際にキアラがくれたのはマンマのお手製ドルチェNevole。
「これが食べられるのはアブルッツォでもオルトーナだけ。鉄板だって他の町では売っていないの。難しいから私は作れないけれどマンマは上手なのよ。」
後日談ですが「どこにでもあるNeolaをアレンジしただけだよ、別に特別じゃない。」と州内他地域の人たち。
この議論に決着がつくのは何十年もかかりそうですが、とにかくオルトーナの家庭でしばしば見かけ、Nevolaが上手なマンマは尊敬されているのです。
全粒粉に砂糖、アニス、シナモン、オレンジピールなどを混ぜた生地にアブルッツォのお菓子には大活躍のモストコット(ぶどう果汁)を加えた生地を専用の鉄板で焼き、温かいうちに巻きます。風味も食感も八つ橋を半生にした感じです。